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日常の出来事などの記述です。 「雀記会」(麻雀成績)は「1位」-「2位」-「3位」-「4位」、収支、場代、の順。着順の推移でないことに注意。収支に場代は含まず。例えば「収支+2500、場代3000」だったら、麻雀自体の収支は+2500だが場代に3000円かかってるので実質の収支はマイナス500円。
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数学の証明について。まず「公理」というものがあってそこから論理を積み上げるという手法で行われる。平面図形における公理は「2点を結ぶ線分は一つである」などの「ユークリッドの5公理」、実数論の公理は「デデキントの切断」など、集合論の公理は「選択公理」である。

公理というのは「証明は出来ないけれど、それを認めた上で論理を積み上げましょう」というものである。そこから出来た理論は元となる公理の真偽にはよるものではない。

何が言いたいのかというと、麻雀における理論は「流れが無いことを前提として理論を作る」あるいは「流れが有ることを前提として理論を作る」という方策が取られるべきだということである。

例えば流れ否定派の人が作った「配牌時の平均シャンテン数は3.5である」という理論に対する、流れ肯定派の「流れが良い時と悪いときでは平均シャンテン数が変わる」という反論について。この理論は「すべての局で牌の来かたはランダムである」という前提から得られた結論である。その前提を肯定するとその理論は正しい。(←ココすごく大事。)しかし流れ肯定派はその前提を偽と思っているため出来た理論は根拠を持たない。なので流れ否定派は「そんなの意味ないよ」あるいは「そんなの間違ってるよ」と言う。

現時点では「流れはあるかないか?」という命題の真偽は不安定なので、「配牌時の平均シャンテン数は3.5である」という命題も真偽は不安定である。しかし「流れがないことを仮定すればその理論は正しい」というのは事実として受け入れられるべきである。逆に「流れがあることを前提にして作られる理論」も理論的に正しければ受け入れられるべきである。


追記
僕はもちろん流れ否定派。しかし「流れがあることを前提にして作られる理論」の代表格である「雀鬼流」の僕の評価は高い。
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