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日常の出来事などの記述です。 「雀記会」(麻雀成績)は「1位」-「2位」-「3位」-「4位」、収支、場代、の順。着順の推移でないことに注意。収支に場代は含まず。例えば「収支+2500、場代3000」だったら、麻雀自体の収支は+2500だが場代に3000円かかってるので実質の収支はマイナス500円。
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特に山梨や静岡のフリーでやるのだが「レートを聞かないで打つ」というのをやっている。もちろん時価の寿司屋に行くような怖さはあるが、そのスリルもなかなか面白い。

1半荘目の途中や精算時に「レートはいくらなんですか?」なんて聞くのだが、そうすると同卓者からは「レート知らないで打ってたんだ」なんて返される。若いということもあり「レートを知らないで打つなんてすごい」なんて反応が返ってくる。

麻雀は相手に「うまい」「強い」と思わせたほうが有利なのだが、この会話は「うまい」「強い」と思わせるのに十分である。あらかじめ電話で聞いておくという手もあるが、あえて知らずに打つのもなかなか面白い。
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回り親について。親を均等にするという意味ではなかなか公平なルールである。けれど親の偏りや次の半荘で自分が何家になるのかがわからないのも面白いので、俺は反対派である。

しかし最近フリーにおいて店側に利点があることに気付いた。親番の位置によって何半荘経過したかがわかりやすく、卓管理がしやすいという点である。

回り親を採用しているフリーは「親を公平にしたいから」なのだろうか。あるいは「卓管理がしやすいから」なのだろうか。やっぱ後者なんだろうな。
とある新しくフリーを始めた店のこと。まだ初めて2日くらいのときに、さっそく行ってみた。ルール説明で「親が配牌でカンをしてリンシャン牌で和了っても天和にはなりません」とあった。

その後、中盤で大明カンからのリンシャンツモがあった。それは責任払いになるか均等払いになるかは決められていなく、またオーナーもいなかったためひとしきりモメた。

リンシャン天和のような日本中で1年に1回あるかないかのようなことじゃなくて、もっと先に決めとかなきゃいけないことはあるだろうに。その優先順位に思わず苦笑した。
雀荘のイベントについて。おおまかにわけて2種類ある。「回数系」と「運系」である。(大会やゲストのようなものは除く)

回数系とは回数を打ったものが有利になるものである。良くあるのがきめられた期間でのトップの回数を争うもの。こういうイベントは結局常連に還元するという性質を持つ。

ぎゃくに運系とは天和ジャックポットなどを代表例とするなかなか起きない出来事を起こした人に還元するものである。誰にでも獲得のチャンスがあるというメリットがある反面、一見さんに取られ常連げんなりという欠点もある。

そのバランスが取れているのが良いイベントだと思う。つまりたくさん打った人が有利ではあるが、回数の少ない人にもチャンスがあるものである。5万点打ち切りルールにおける1半荘の最高得点を競うなんてイベントを見たことがあるが、ルール的にはいまのところ一番秀逸だと思っている。
イーペーコーが愚者の手役である理由。それは手間の割に安いから。

どんな待ちでも1枚使っているから受けとしてその分薄い。またたとえが34455の受けだとしたばいい、他プレーヤーに4455が見えにくい状態になっているので36pはマークされる。

そのマイナス分は1ハン程度じゃ補えない。イーペーコーを得意とするプレーヤーは駄プレーヤー。
例えば「123444m56s79p西西白」という1シャンテンでについて。上家が切った4sをスルーした直後に8pを引いて47sテンパイが入ったとする。

このようにロンパイを直前に打たれたらどう思いのがいいの?
A「もう一度切ってくれるんじゃないの?」→「ラッキー」
B「先切られたよ」→「ツカネーヨ」
C「べつに?」

自分はCで即リーなのだが、他の人はどう思ってんだろうかね?
よくわからない理論シリーズ「Nだと常に役満狙い」

Nの店で働いていた頃、Nの話になるとよく言われたのがこの理論。なんでNだと常に役満になるの?役満がしたいならレートに関わらず常にしてればいいじゃん?逆にNでも普通に打てばいいじゃん?いまだによくわからん。
原子核において原子核は陽子という電気的に正のものがあつまって出来ている。本来反発しあうはずだが、ごく小さい距離では「核力」という強い引力が働くのでくっついていられる。しかしあまり近すぎるとやはり反発してしまう。が、核力は持つが電気的に反発しない中性子の存在によりくっついていられる。

つまり中性子は存在はするけれど電気的には意味がないという物質である。タンピン系の手における字牌とアイデンティティは似ている。
前に「麻雀はやりなれたルールでやるに限る」と書いたけど、結婚目前I氏に否定された。「色々なルールでやることで発想の幅が広がる」というのが根拠。

学生やメンバー、フリーター、ニートなど毎日のように麻雀を打てる人間ならそれもいいのだと思うが、一月に1回しか打たないような人間にとってはただ混乱して終わるだけである。

昔はいろんな店に行って腐れたルールで打つのが好きだったが、今は一つのルールで打ちつづけたいと思っている。
砂用語に「ワイルド」「マイルド」というものがある。麻雀は同じレートでも鳴きチップありと無しとでは動く金額はだいぶ違う。鳴きチップ無しのルールの方が動く金額が小さいわけだがこれを「マイルド」、逆にありのルールは「ワイルド」となる。

点5で言うと祝儀一切なし、ウマが250-500円であるオレンジハウスが最もマイルドで、鳴き祝儀、ウマが500-1500円、スーパーリーチありの大三元が最もワイルド。主な店で序列を作るとマイルドなほうから順に、オレンジ<花梨(面前祝儀)<海(鳴き祝儀)<なきむしいちご(祝儀200円)<大三元。

ピンだとマイルドとワイルドの差が大きい。おそらく祝儀が1枚500円と大きいからだろう。リーチ祝儀で祝儀が重なっても1枚(500円)しか発生しない溝の口のセブンがもっともマイルド。逆にもっともワイルドなのは赤が役になるさかえか、リーチ祝儀だが1枚1000円の蒲田の鱧。

もっともマイルドなピンともっともワイルドな点5を比べたらさすがにマイルドピンの方が動く。


今は無き旗の台のギャル雀にて。ルール表のチョンボになる項目の欄に「誤ロンで手を倒したとき」や「スタートボタンを押すなど局の続行が出来ないほど場を崩したとき」などが掛かれている中、「その他の不正行為」という項目があった。

フリーでイカサマについて言及されているのは非常にめずらしい。

そしてイカサマの罰則がチョンボ払い程度の軽さで済むなら、「イカサマをする」というのも戦術の一つに入るのではないだろうか?
横浜に住んでいて、フリーで打っていたときのこと。足元に100点棒が落ちていたので拾って「誰のですか?」といいつつ卓の中央に置いた。すると同卓のオヤジが何も言わず、自然な動きで自分の点箱に入れた。

しかし直後点数表示を見て見たら10万0100点になっていた。それを問いただすと実は俺が入る何半荘か前に100点棒がなくなって店から補充したということがあったらしい。つまり落ちていた100点棒は誰のものでもなかったということである。

にもかかわらず、何の疑いもなしに自分の点箱に入れるふてぶてしさは素晴らしい。最近の自分の考えに「ずうずうしさは麻雀に必要な能力の一つ」というものがあるが、そのオヤジはさぞかし強い雀士なのだろうと思う。


最近各所のフリーで配牌が自動で出る卓を使う店が増えた。慣れていないと多牌少牌が続発するがその対応も各店で違っていて結構面白い。

御殿場じゃんきち:
導入が早くもう常連は慣れているのか一切の救済措置無し。新規客が立て続けに少牌をして不機嫌になって帰ったのを見たことがある。

大宮クランツ:
始めは救済無し→その後補充可→その後3順位内なら補充可、みたいに行くたびにルールが変わっていた。店内掲示の張り紙には「当店では多牌少牌が多いので」という前置きがあり、なんともほほえましい。

甲府なきむしいちご:
第2ツモまでに気づいたら一気に2牌ツモれる。ただその権利を行使した場合祝儀無し。少牌でダブリーをして2枚ツモって上がったらかっこいいよな。オーラストップ目など祝儀よりも点棒のウェイトが大きい局では裏目の可能性を下げるためにわざと少牌したほうが良い局面がある。だが、実際やったら出禁になるだろうな、、、。
セットでやる際、俺は基本先ヅモどころか先切りまでするが、そのおかげで大工Aさんや結婚目前Iさんによくリロンを受ける。打ったときには時すでに遅く、大概の場合で払わされる。決まって思うのが「リーチ時はチャイOKというルールをつけとけばよかった」である。(「オプリロン」やスーパーリーチありルールにおけるで「スパリロン」はしないという暗黙のルールがあるのはかわいいが)

そんな中そのルールを加えて打った際、自分=親、下家=Iさんという局にIさんが1sを先切りしたが、自分には9m単騎か1s単騎のダブリー手が入っていた。結局1s待ちでダブりーをしたものの、稲葉は切り替えしたため「ダブリロン」は取れなかった。(結局4順目くらいに出てきたが。)タイミングが悪かった、、、。


追記
大工Aさんにリロンをすると「そこまでして金が欲しいかよ」とか「そんなことして楽しいかよ」とか言われる。(普段は率先してやってるのに、、、。)メンタルが弱い人は注意。
とある店にて。その店はカレーや卵ご飯などのメニューではご飯の大盛は無料サービスだった。

そんな中ピラフを注文する客がいた。その店のピラフは出来合いのものなので大盛にすることは出来ない。しかしその客は「白いご飯を盛って!」と言い、ピラフをおかずにご飯を食べていた。

結局その日、その客に3連勝されて俺はギブラス半。前にも書いたけど、ずうずうしさは麻雀で大切な能力の一つ。
数学の証明について。まず「公理」というものがあってそこから論理を積み上げるという手法で行われる。平面図形における公理は「2点を結ぶ線分は一つである」などの「ユークリッドの5公理」、実数論の公理は「デデキントの切断」など、集合論の公理は「選択公理」である。

公理というのは「証明は出来ないけれど、それを認めた上で論理を積み上げましょう」というものである。そこから出来た理論は元となる公理の真偽にはよるものではない。

何が言いたいのかというと、麻雀における理論は「流れが無いことを前提として理論を作る」あるいは「流れが有ることを前提として理論を作る」という方策が取られるべきだということである。

例えば流れ否定派の人が作った「配牌時の平均シャンテン数は3.5である」という理論に対する、流れ肯定派の「流れが良い時と悪いときでは平均シャンテン数が変わる」という反論について。この理論は「すべての局で牌の来かたはランダムである」という前提から得られた結論である。その前提を肯定するとその理論は正しい。(←ココすごく大事。)しかし流れ肯定派はその前提を偽と思っているため出来た理論は根拠を持たない。なので流れ否定派は「そんなの意味ないよ」あるいは「そんなの間違ってるよ」と言う。

現時点では「流れはあるかないか?」という命題の真偽は不安定なので、「配牌時の平均シャンテン数は3.5である」という命題も真偽は不安定である。しかし「流れがないことを仮定すればその理論は正しい」というのは事実として受け入れられるべきである。逆に「流れがあることを前提にして作られる理論」も理論的に正しければ受け入れられるべきである。


追記
僕はもちろん流れ否定派。しかし「流れがあることを前提にして作られる理論」の代表格である「雀鬼流」の僕の評価は高い。

・客が待ち時間にヒマをつぶせるのはサービスの面で良い
・客やメンバーが麻雀の見聞を広めるのに役立つ


・店に来るのに麻雀を打たない客が増える
・漫画に感化されて、「ご無礼!」と言ってみたりアカギの打ち方を真似る人が出てくる

花梨開店時、漫画を買ってくるように言われた稲葉が麻雀に関係ない漫画を買ってきたなんてことがあった。当時は「なんだコイツ?」と思ったが、実はここまで計算してたのか?


追記
花梨初期、稲葉に対する3大「なんだコイツ?」
・非麻雀漫画を買ってくる
・名札の一言欄に「3麻大好き!」(←4麻の店なのに?)
・コピーを頼まれた際、、、(←さすがにコレは書けない、、、)
次点;お湯を作るポットでスパゲッティーを茹で1週間くらい内部に小麦粉のネバネバが残る
雀荘メンバーの給与体系について。時給800円もらっていてもゲーム代を払うので実質の意味での時給は400円程度である。これはもちろんピンハネ行為で労働基準法違反。グッドウィルのように裁判沙汰になったらまずメンバーの勝ち。いずれは裁判が起きるのではないかと思っているのだが、とにかく凄い業界である。カイジ地下チンチロ編で大槻班長が「人間は搾取する人間と搾取される人間の2パターン」というがモロに当てはまる世界である。

それなのにもかかわらず、なぜメンバーをする人間がいるのだろうか?それはメンバーの仕事が楽で楽しく、またなるのも楽だからである。

それはさておき、裁判沙汰になった後の状況予測。メンバーの金銭面での待遇アップ→メンバー喜ぶ→店側は支出上昇に耐え切れず廃業やリストラ断行→メンバーの仕事が無くなる→業界全体が衰退。目先の利益にとらわれて大局を見失う典型になりそうである。
社会人になってから麻雀の実力がとんと落ちた。なので稲葉とか文とかと麻雀するともはや勝てない。

基本的に麻雀の実力は「社会人<学生<フリーター<ニート」だと思われる。仲間内で今最強はおそらく S A N D 。
この前自分が中と白をポンした直後に発を切ってきたオヤジがいた。発を持っていなかったのでここはスルーとなったが、そのオヤジいわく「発を持ってたらそんな仕掛けしないだろ」。

普通の人は「■■■■■■■白白発発中中」から中ポン白ポンをしないということか?まぁ実際のところは場のノリで適当なことを言ったに過ぎないだろうが。(発を切る口実や照れ隠し、「俺はタコじゃないよ」という主張。または自分の実力の誇示。)

「雀士は読めても無いのに知ったかぶりをしたがる」理論の好例。
「賭けマージャン」認める=妻も参加-守屋氏が防衛省聴取に

>防衛省の守屋武昌前事務次官が在任中に防衛専門商社「山田洋行」の元専務からゴルフやマージャンなどの接待を受けていた問題で、守屋氏が同省の事情聴取に対し、マージャンをする際は「現金を賭けていた」と認めていることが25日、分かった。

>賭けマージャンには、守屋氏の妻もほぼ毎回参加。マージャン卓の使用料は「勝った方が払っていた」(同省幹部)という。レートは「点5」と呼ばれる低額で、「庶民的な賭け金だった」(同)としている。


ホントに点5かな?基本レートは点5で、祝儀額が1枚1万円とかだったりして。
よくフリーで精算時にオヤジが大声で「マイナ3はいくら~?」聞いているのをよく耳にする。

これってホントむかつくんだよね。まず着順がわからなければ答えようが無いし、プラスマイナスの基準点が25000なのか30000なのかはたまた0なのか明確ではないとやはり答えようが無い。またウマを考慮した前なのか後なのかもわからないと答えられない。

自分中心に世界が回っていると思っている人にこういう発言が多い。コーヒーを頼むときも温度や砂糖ミルクの有無は決して言わない。

ちなみに花梨にいたころ立ち番をしていて点計が出来ない客に呼ばれ「これ何点?」と聞かれることが多々あった。あるとき、一見してツモのみなので「300-500ですよ」と答えるものの、あとから「実はリーチしてた」とか「一発だった」とか「裏が乗ってた」とか「親だった」とか言われ結局4000オールだった。リー棒出てない、宣言牌は曲がってない、ドラ表示は表裏ともに崩されてる、親ランプは別のところに付いてる、そんな状況で何も聞かされずに正確な点が言える道理は無い。もしかしたら義理も無い。
最近フリーで長くても6回くらいしか打たなくなった。なのでレートが1でも大きく負けることは無くなった。そんなせいか1でもイケイケの麻雀を打つようになった。

押し引きかするのって面倒だから、楽で良い。
きちんと成績を管理して、客にトップ率などの情報を提供している店での事。「あなたのトップ率は26%です」みたいなことを言われた客が「麻雀は確率のゲームじゃねーよ」と言っていた。

麻雀やる人(=ギャンブルやる人)って「確率」と「割合」の区別がついてない人が多いよな。「麻雀は確率のゲームではない」という考え方はそれはそれで尊重するが、割合を語る上で用いる「%」にもアレルギーを持たれると会話が続かなくなるので困る。
稲葉をはじめとして初心者に「からぎりは意味が無いし余計な情報を相手に与えるだけなので止めた方が良い」と諭す上級者は多い。しかし僕はからぎりも麻雀の立派な戦術のひとつであると考える。少なくとも「からぎりをする」と「からぎりをしない」の選択肢がある状態から、それを狭めるのはナンセンスである。

というか、稲葉はからぎりされたくないから禁止させてるんじゃないの?からぎりを読むのが苦手→からぎりをされたくない→無意味論を主張、という図式が見える。

稲葉を含め、なぜからぎりが良くないのかの合理的理由を言う人を見たことが無いし。(聞くのは「時間がかかって迷惑」とか「からぎりがバレたらその牌をもってることをバラすことになるから」など。)

ちなみに龍もからぎり反対派で、その理由はもちろん「だって意味無いじゃん!」。


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